こんばんは、今日も通院の事を話します。
・放射線治療が終了(2019.7.3)
この日、全30回の放射線治療が終了。
この30日間、平日は7時に起き、8時に大体は家を出発という決まったパターンで過ごしてきたのが終わる。変な気持ちだった。
まだ抗がん薬は残っているので使命感は残る。
正直、放射線治療中は動いてはいけないというプレッシャーがあったので、ただ寝ていればいいだけだったが、1回ごとに
(あ、隣の部屋でモニターを見ての位置確認が時間かかってるな~)
(今日は全ての工程が早かったな)
(ん?途中で再度技師が部屋に入って来る、私の頭の位置が微妙にずれてて直しに来たな)
など、感覚で感じ、想像よりも疲れていた。
私の場合は、放射線治療で脱毛した。髪が生えている状態で固定用マスクを作った為、脱毛した分だけ、治療の後半でマスクに隙間が出来ていった。その為後半では技師に「若干右のほうに向いて」と言われるなどの微調節があった。
なんと最初の説明では、紙1枚分もズレが生じると装着できないように作られた私用のマスクだが、後半は患者も脱毛した分だけ協力するのだ。なので、医師、技師、患者のタッグで成り立ってると言っても過言では無い!自信を持とう。
思い出すのは、ある時MRI画像検査の部屋に向かうと、検査途中に部屋から飛び出してきてしまったお婆さんがおり、お爺さんに抱きついて今にも今にも泣きそうになっていた。技師は「では途中までの画像を使用しますね」という親切な対応だった。そう、患者のやろうという気持ちが大切なのだ。何かしらいろんなことが起こり、いろんな検査や治療に手術に分からないままに事が運び分けが分からなくなるし、泣いてしまう時もあるが、・自分の力・医師チームの力・主治医の力を信じてやろう!
私が退院してるからそんなポジティブぽいことを言うのではない。泣くたびにそう思ってきたのだ
(なんで医師チームの力と自分の力を信じられないんだ、そうだった!忘れかけていた)と自分を立て直し、また忘れの繰り返しているうちに退院した。
これから入院や治療の方はこれを参考にしてほしい。泣いたっていいけど、自分と医師たちを信じてみて。
・アバスチンの点滴、4回目(2019.7.5)
けいれん発作の起こる頻度を見ながら担当医がアバスチンの次回の点滴施術を決める。一般的には6回までやるのが目安と言われてきたが、2.3回で終わる患者もいるし、効果も個人差があるそう。私はこの時点ですでに4回目だったが感覚として積み重なった効果が出てきた感じもないし、高い薬だし、止めたかったが6回まではやってみようと決めた。
・月に1度の脳神経外科への受診(2019.7.31)
MRI画像を見ながら担当医がどう変わったかを説明してくれる。
私の場合は放射線治療が終わっても1ヵ月、2ヶ月、3か月と一行に脳浮腫が収まらなかった。アバスチンの点滴もやっているのに、、、と不安が募った。
右前頭葉にあった腫瘍は手術と放射線治療できれいに黒くぽっかり穴が開いたように楕円形を描いていた。それはいいのだが、脳の左右を分ける中央を走る線が右の脳の腫れの影響で左側に膨らんでしまっている、線が左側にズレて膨らんでカーブを描いてしまっていた。けいれん発作が収まらないわけだ。入院中はけいれん発作が起こってがっかりしていても医師は「治療してないんだから起こってもしかたないです」と励ましてくれたものだ。でも今は放射線も終わって1ヵ月も経つのにとせっかちになっていたが、医師は「そうですね、ここも、ここも変わりありませんね」というような診断だった。
・入院で分かった移動の事
〇入院中は治療室までの移動、車椅子を押してもらう時は「ゆっくりお願いします」と声をかけてみよう
手術後や、リハビリ中の患者は転倒防止のため、看護師、准看護師の方々が車いすで治療室迄患者を運んでくれる。私はてんかん持ちになり、不安で発作も出がち。急に予兆が起こり発作が出て放射線治療の時間をずらしてもらった事が1度あったり(予兆があった段階で伝えるとベッドに引き返してくれたのでベッドでけいれん発作が収まるのを待てた)
そして早歩きの口角のリハビリの医師の後を小走りした時に、急に胸騒ぎが起きた(予兆があったので、すぐそばのトイレに入って座ったらてんかん発作が起こった)
車いすの場合も、歩く時も「ゆっくりお願いします」で私の場合けいれん発作が起こらなかったかもしれない。それから私は移動時は「ゆっくりお願いします」と言うようになったし、できれば歩くようになった。自分のペースが崩れることもない。大体は嫌な顔もせずに聞いてくれる。
てんかん発作が起こりそうな時、起こった時には転倒防止のために、壁のバーを持てるとこ、又は座れる場所を探しましょう。
明日からも入院や、通院、治療の中で気が付いたことなどお話します。