こんばんは、実家で一緒に住んでいた強烈な個性のある祖父がいました。もう亡くなってしまってい20年ほど経過しました。私は初孫だったので出来合いされまくっていたようです。幼いころの所々覚えている記憶や、小学生になってからの記憶などを元にこの祖父のぶっ飛びぶりを話します。自身で書いていて楽しいなと思えたら続編も書いてゆきたいです。
祖父と祖母は毎日小競り合いをしていました、小さいながらになんでお爺ちゃんお婆ちゃんは結婚したんだろう?と素朴な疑問を持っているほどでした。しかしおじいちゃんが先に亡くなってしまい、その後の祖母の様子を見ていると大好きだったんだな。と感じました。なぜなら本人たちがお見合いで結婚したなんて適当なことを言っており、多分どうやら冗談だったみたいです。子供なのでそう信じて疑わなかったです、全くファンキーな人たちです。
祖父は何をやるにしても子供相手に本気で助言したり容赦ない大人だったので、祖父が怒り出すと本気で恐いと思っていました。目がマンガのような二等辺三角形になっていたのです。しかし怒るというのがしつけの時だけでなく理不尽なかんしゃくを起こしていた時もあったように思います。良い言い方をすれば戦争経験世代の方々の肝がすわった部分もあるのかもしれません。
例えば私が植木鉢の余ってるのと土をもらって何かの苗を植えようとしていると、やり方がダメだったのか、小学生の私から鉢をとりあげて自分でやり始めてしまう人なのです。記憶があいまいで確かではありませんが、だいたい何でもそんな反応をする大人げない祖父でした。面白いですよね、今思えば。そのおかげでしょうか上手く育てることはできませんが私の植物好きは祖父と祖母譲りです。
そして美意識が以上に高くてほぼ全身を白でコーディネイトしていました。帽子からシャツ、パンツまで。しかしそれがお笑いのノンスタイルの石田とは年も違うので、もう少し小慣れ感があり今の私からしてもあの年にしてはまあまあだなと思えます。
私を毎日喫茶店に連れて行きモーニングを一緒に食べ、主食がちゃんと食べられないくらい押し入れに忍ばせたお菓子を何かしら親に内緒でくれました。
私たち兄弟にグラビアや袋とじのある大人の雑誌を見せていました、内緒ね。なんて言ってこそこそと隠していましたね。なんてファンキーでエキセントリックなのでしょう。今の時代ならばハラスメントとなるでしょう。
もしも自分に子供ができたとしたらそんな人に子供を預けておくのは心配です。
そんな愛すべき変人である祖父の生態、読んでいる方たちが不愉快にならない程度に書いてゆければいいなと、ここではざっくりと書いたことのうちで詳細がまだかけそうなことがあれば追記したいなと思います。