「話半分で聞く」とは、話の半分程度はうそや誇張であること。半分ぐらい割り引いて聞いてちょうどよいこと。「話半分に聞いておく」
出典:goo辞書
私はあまり「話半分で聞く」ことができない、なので相手が言うことも昔から本当にそう思っていると100%で受け止めるところがあります。
例えばつい最近だと義妹が「ホットヨガ(岩盤浴をする室内でヨガをやること)に今日これから行くんですよ、今度一緒に行きましょうね!」と言ってきた、私は一瞬ためらいそうになりながら「うん、そうだね!行こう」と普通に返事したけれど内心は(てんかん持ちだし私って岩盤浴自体行っていいのかな?)と一瞬脳をよぎってそのままそれを義妹に話しそうになりました。
しかし一緒にホットヨガなんて行くわけなんて今の時点ではありえないのです。義妹とは2人でお茶さえもしたこともないのにまして岩盤浴という温泉に行くような裸の付き合い的なことがいきなりできるわかがないではないか!?と後になって気が付きました、社交辞令だったな、と。気を使う義妹なのです、私にはそういったリップサービスができないです。
逆もあります、友達が気に入っている美容液をほめた時に本当にいいなと思ったから「トライアルキットとかもあるから、よかったら使う?」と言われたので、「使ってみたい!」と返事したもののいっこうにパンフレットをくれたり何もなく話が流れてしまったこともありました。友人宅で酔って話していたからかな?ともその時は思いましたが、お酒に強い子だし大人な子だしきっと返事を社交辞令だととらえたんだとそれも後で気付きました。
私はがちがちな部分があって顔にも感情が出るし、本当の社交辞令(仕事関係の間柄の相手との関係)であればリップサービスも多少のポーカーフェイスもできますがそれ以外で私的な場所や関係ではそういったことができないです。本当に思っていることしか言いたくないし行動したくないのです。
そこはいい部分でもあり裏を返せば弱点でもあります。素直という面では自分のチャームポイントととらえています。しかし融通が利かないという点では頑固さであったり流せないということから自分を苦しめているとも思います。そして観察力の乏しさがあるのだな、とも思いました。古い友人にはよく笑われました。
それができる人は大人だし冷静に見ればコロコロ意見が変わるし自分都合で勝手だなとも思っていましたが、社会をうまく渡っている友人には共通してそういったことができる人です。自分を守りより大切にする方法を知ってるという事です。性格や考え方が柔軟で器用と言ってもいいと思います。
去年あたりから様々なことを感じて「話半分で聞く」ということも良いことだなと考えました。いい加減に聞くとそれは全く別物として、自分らしさを忘れず相手の気遣いだったり逆にこちらの気遣いとして「話半分で聞く」を捉えたいです。