病気になってからの時間のながれかた

日々の興味を持ったこと、食べること、健康を中心に書いています♪ 現在は外来受診中です、脳腫瘍になった方との情報の共有したいと思ってBlog始めました☆

初詣と標高5000m以上での生活②完

 昨日のブログの続きです。

 “奥ドルポ“(ミャンマーの標高5000m越えの奥地)の幻の民と呼ばれる人々の住むドゥネイ村での生活年越しと新年を紹介します。一番肝心な部分が今回の「初詣と標高5000m以上での生活②完」になってしまいましたが、読んでいただけると幸いです。

 

 

 年越しは、日本の年越しそばのように、年が明ける前にお団子と穀物(大麦、小麦、トウモロコシ、グリーンピース、大根、サク、ヤク肉、乾燥チーズ、塩)ヤク肉、乾燥チーズ、塩を大きな鍋で似たおじやのようなものを食べる。親近感がもてますね!

正月はただ静かな穏やかさがありました。

 まず家の奥さんが朝1番に起きてその年初の水くみに出かけるのが伝統。その後家族そろってから奥さんが幸運祈願のために家の柱にツァンパの粉を指で付けていく、その後幸運祈願のために家族の頭にバターを付けていく。“ナスD“も付けてもらっていました。

 家の中でこの伝統の儀式が終わると、その村の一番高い場所にルンタ(ロープに色とりどりの三角の旗がつながったもの)を張り、その年の幸運を祈る。日本の門松やしめ飾りを彷彿とさせます。

 チャングルという正月料理を食べるこの日だけのご馳走で、ココナッツ、干しぶどう、酒かす、バター、砂糖、ツァンパを一緒に煮込んだスープです。貴重な食材が使われています。まず神様にお供えしてから年長者から配られていく。米粉ドーナツもお祝いの日の料理で、美味しそうでした。カプセというお菓子も食べるようです。

 除雪作業も大切で日本同様大きなスコップで家の周りの雪をかき出す作業をしをします。

 そしてそれぞれその年初の洗髪をする、といっても乾燥の厳しい環境なので洗髪は年10回ほどしかしません。

 その後集落の人が集まり、円になってステップを踏んで歌い新しい年を祝います

 

 昼になるとその後集落に村人が集まりある広場に集まり正月の仮面踊りが始まります、テレビもなく娯楽のない村ではこれが唯一の娯楽でしょう、仮面と鮮やかな衣装を身にまとったそれぞれの神様の役をした十数名が輪になってシンバルのような打楽器の音に合わせて円を描きながら踊ります、その踊りにはストーリがあり音楽にも緩急があります、終盤にクライマックスを迎えます。観客はみなそれを見ながら持ち寄ったお弁当を交換したりして楽しんでいます。

 そのお祭りが終わると正月もまたしんと静まりかえります。

 そして、1年ごとに交代で村の半数の人々がお正月が明ける前に家畜を連れて約3ヵ月もの間、草のある場所へ移動させます。家畜を放置すると草を食べつくしてしまうので、子供も含めて家族でこまめに移動させます。吹雪から家畜を非難させたりと自然の厳しい冬に対応しなければいけません。子供は親に習い家畜の世話をします。一人の女の子が「両親ほど上手に教えられる教師はいません」と話していました、親子の強い絆に感動しました。

 放夫の一人が「放夫であることに誇り、学が無くこの仕事しか知りません、そしてこの仕事に誇りがあり、好きな仕事です。そしてこの土地、風邪、水が好きです」と話していました(ここでの生活しか知らないって一体どんな気持ちなんだろう?)と考えながら見ていましたが、その問いに対する答えを予想外でしたが聞くことができました。強くて素晴らしいなと思いました。

 

 

 そして村では正月が明けると-18℃の中でお経を唱えます。

 “ソージュン“と呼ばれる断食がおこなわれます、3度行われますが回を増すごとに断食の日数が増えて厳しくなります。どれも有志者を募ります、断食中は一切話すことが許されません。そして終わるごとに村の人からの差し入れがされて昼からそれを皆で分け合って[仏に来世を祈り、互助精神を持った]ことのお祝いがされます。

  • 1回目は4日間行われます、その間は現世の悪事をわびて自分の来世を願い、その間は一言もしゃべることが許されません。4日目の満月の夜に30人の僧侶がお経を唱えて断食が終わり、ヨーグルト入りの湯が配られて話すことが許されます。
  • 2回目は8日間行われます。
  • 3回目は14日間行われます。

 3回目の断食後はお供え物と、ハンドボールを一回り小さくしたくらいの真ん丸なでっかいおにぎりが村人から振舞われ、どれも皆で分け合いより盛大に祝福が行われます。

 断食を行うという今ではポピュラーな健康方法を大昔から行ってきたのはまさに先祖の知恵だし、だからこそ厳しい環境で生きていく体と精神を鍛える感覚が人々にはあるのかもしれません。

 

 

 この奥ドルポでは気が遠くなるほど時がゆっくりとながれています、そして人々は私たちの想像を超えるだろう生活と心豊かにその瞬間を生きていました。自分にとって何が良いことで悪いことか、何が心地よくて何が嫌なのか自分の考えや基準を持っている人たちだなと思えました。

 

 

「ふり返ったら今まで自分が通って来た道が低いけど、誇らしい。けれど人生もそう思えたらいいですね」と“ナスD“は行きの道中に来た道をふり返ってポツリと言っていました(本当にそうだな)と感心しました。

 

 

 壮大な自然の中で身軽で余計なものをそぎ落とされ洗練された生活を送る奥ドルポの人々と、自分の生活を比較してもしょうがないことと、どちらにもそれぞれの良さがあるのは頭では分かっているものの、自然とは、宇宙とはと考えるように果てしない気持ちになりました。

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございます、もうすぐお正月も終わりますが、ゆったりと過ごせたなと思います。2021年も自分らしく進んでゆきたいなと思います。

 

 

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 〇番外編 ここからは省略した詳細です。ヒマラヤとはドルポで暮らす人々とはなどなどを紹介します。

 

*道中の出来事と詳細を分かる範囲で紹介します。

・途中に立ち寄った12の村

  1.  ジョムソン村(ここまでは首都カトマンズ(ネパール)から飛行機で12時間かけて到着。その先は現地の案内人と料理人と共に、食料等の荷物を運ぶカッツァル【ヤギと馬のハーフ】と共に進む)
  2. 聖地ムクチナート(仏教とヒンドゥ教が共存した村)
  3. パリヤク村(標高3710m、段々畑があるここを超え次の村まで9時間歩く、この辺りで脱力感と頭痛に襲われる。このあたりが“ドルポ”と呼ばれるよう)
  4. サングダ村(標高3710m、人口60人、麦は標高の低い土地で栽培できるそうで、この村には大麦の段々畑がある。電気が無く貴重な肉は皆で分け合ってソーセージなどに加工する。この先は主に川沿いを10時間歩く、切り立った崖沿いの道が続くので危険。途中、連れていたカッツァルが一頭滑落死してしまい飼い主は両親同様と言い泣いていた)
  5. ツァルカ村(サングダ村からここまで主に川沿いを歩く、切り立った崖沿いの道が続くので危険。連れていたカッツァルが一頭滑落死してしまい、飼い主は両親同様と言い泣いていた)日目
  6. ティンギュー村(大麦畑のある“奥ドルポ“で一番高い場所にある村、トラックもないため荷物は歩いて運ぶ)その後通過するツァルカ村との間にあるモー・ラ峠(標高5027m)が中国とチベットの国境でこの先がチベット。その後チョイラ峠(標高5051m/酸素濃度53%、ここで安全祈願のためにお米をまく)ここからが“奥ドルポ“となる10日目
  7. ポルデ村(ティンギュー村との合併でのお祈りの儀式が行われる)
  8. シーメン村(良い石材とここだけは唯一鉄が取れる地帯)

  9. モエ村(この後クン・ラ峠を越える)16日目

  10. 二ザール村(標高3750m・石材がとれない代わりに唯一良い粘土質の砂がとれるのでこの村だけは家は土壁づくり。この周辺で開かれるマーケットがあり中国の物が買えるが川を越えなければいけないので命がけの買い物)17日目

  11. サルダン村(人口700人の大きめの村でここの村のホテルに泊まる)
  12. ナムグン村(人口15人、この後シェ・ラ峠を越えて“水晶寺”と呼ばれるシェ・ゴンパヘ参拝に行く)

 

*“ヒマラヤ”と“ドルポ”の見どころを紹介します。

・“ヒマラヤ”はサンスクリット語で“雪の住まい”という意味、ここに8000m越えの山々が集中している。

・“ドルポ”はヒマラヤ山脈でインド洋からの雲がせき止められるため雪が降らないので、秋には亜熱帯の環境になり、原種の草花や生物が生息するような手付かずの自然が残っている。

・ナムグン村から7つの峠を越えると最終目的地(取材先)の“奥ドルポ”で昔ながらの生活を守るツァルカ村に到着(5年に1度の大雪にみまわれたので到着までドルポの案内人たちでさえ疲労困憊していた)

・3つの大きな峠---ここを超えるとき先が見えない霧状態の中を歩く(“奥ドルポ“の手前にそびえ立つ峠)

  1. ケ・バラ峠(標高5100m)
  2. ニマ・ラ峠(標高5515m)
  3. トゥジェニ峠(標高5185m)

シェ・ゴンパ---チベット教の3大聖地であり1000年以上前から巡礼者が訪れ寺。寺の裏で水晶が採取できたことから“水晶寺”と呼ばれている、そこには2m以上の立派な弥勒菩薩像と神々や曼陀羅のような繊細で鮮やかな壁画があり仏教が根付いている(標高3710m、酸素濃度60%、‐2℃)

 ・ポクスンド湖---“奥ドルポ“にある素晴らしい秘境で“幻の湖“その空の青の青より濃いエメラルドのような鮮やかな青色に“ヒマラヤの青き瞳“と呼ばれる。ドゥネイ村から3日かけて着く、“ナスD“一行もドゥネイ村に到着後に向かって行った(湖の東の端は富士山と同じ標高)

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エメラルドの青のポクスンド湖

7月の草花が息づく秋の時期のドルポ(ヒマラヤ)は珍しい原種の草花や動物がたくさん生存している。

河口慧海という日本の僧侶がおり、120年前の7/4に初めてインドからチベット密入国して国内外の各地の様々な仏教の有様を実際に目の当たりにしてきたその知見が“チベット旅行記”などの書籍として残されている。日本を出発して3年の月日を経て“奥ドルポ“への登頂を果たしている。

 ・ドゥネイ村の病院---集落に1人だけ医師がおり、その方は僧侶をしており、医療の知識は僧侶だった父さんから受け継いだそうです。診察は無料で全て自身で収穫した薬草、木の枝葉を患者の症状に合わせて処方するそうです。どこへ行っても助け合いの精神が根付いています、根本が違うので同じ土俵に立てませんが日本では考えられませんね。

・ドゥネイ村の季節で異なる山と畑

春---畑の食物が実り黄金色に輝く季節、バラや原種の草花が咲いている

夏---最も美しい緑に茂る畑

秋----何も育っておらず茶色の畑が広がっている

冬---激冬で真っ白く染まる山々と村

・ドルポのお葬式は鳥葬(天葬)で遺体を鳥に食わせて自然に返すそうです。その様子をリアルに想像してみるとグロテスクかもしれませんが、送り出す側の気持ちを考えるとこの自然と生きる民にふさわしい儀式と感じました。

チベットでは、チベット語ネパール語、英語の3つの言語が使われてます。映像を見た限りは学校教育を受けたりしないと英語は話せないようでした。ここでも何かしらの格差はあるようです。

 

*“なすD”一行の見どころを紹介します。

・現地では思い出に残る場面をカメラではなくスケッチブックに鉛筆で下書きスケッチをして、その後時間のある時に絵の具で色付けしていました。村の人に「私の息子だわ!」「ポクスンド湖だね!」「似てるね!」「しゃしんよりいいね!」などの村人と笑顔のやり取りをしていました。

・かき氷シロップを3種類ほど持参し、村でかき氷を楽しんでいました。自然に子供たちが集まると子供達は初のかき氷に「おいしい!」とはしゃいでました、本当に周りの人々を笑顔にしてしまう人です。

・村で持ち寄りのご飯の途中に参加するとどんどん隣のおじさんに、揚げパンのようなものを振舞われます、それを大きな口に詰め込むようにモグモグ食べ始めます。そのラリーがありますが断ることなく面白い方法で食べる姿に老若男女から大爆笑がおこっていました、その帰り道にすでに何人かの子供たちに囲まれて1人の男の子を肩車していました。“なすD”は真のエンターテイナーかもしれません。

・番組一行の食事は約30か国ほどの料理をつくれる山岳料理人が担当しており、とても美味しそうでした。主にジャガイモのカレーとご飯です。1つのプレートにその他のソーセージと野菜の炒め物など品数が多く毎回工夫がされた料理とスープなどで、過酷な登山の合間の至福の時間に見えました。

 

*私の高地での体感

 標高5000mの体感ってピンときませんよね、富士山標高の標高が3,776mmです。私の行った中で1番の標高は4150m(ボリビアの首都ラパスの国際空港があるエル・アルト)です。

 その前に体験した標高3400m(ペルーのクスコ)での体感ですが急な坂を普通に歩くだけで息があがりました。その息苦しさがとても印象に残っています。クスコの日本人宿のオーナーが私に高山病の薬を教えてくれたので、クスコを出てボリビアに着いてからそれを飲み高山病にならずにすみました。そして高地は山でなくても日の当たる日中はロンT1枚で過ごせるほど熱く、日が暮れるとダウンが必要になるなど寒暖差がこたえます。なので雪山での過酷な登山は想像ができないです。

 

 

 *番組の詳細

 下記の2時間番組を2020年の3月と12月に見ました。内容は少し違いました。12月の物は登山ルートが分かりやすくまとめられていました。 今はTELASAで見れそうですのでURLを添付します。

www.videopass.jp

 

 

 なかなかうまくまとめられず、長くなってしまいましたが番外編まで読んでいただきありがとうございます!