病気になってからの時間のながれかた

日々の興味を持ったこと、食べること、健康を中心に書いています♪ 現在は外来受診中です、脳腫瘍になった方との情報の共有したいと思ってBlog始めました☆

初詣と標高5000m以上での生活①

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

去年はつたないブログを読んでいただき嬉しく思いました、ありがとうございます。

 

 

 改めて思いますが日本の正月は素晴らしいですね。元日に氏神の大元の神社への初詣に出かけました。ここ数年は人込みを避けるために6:30出発しているので、並ばずに参拝できます。今年の元日も並ぶことなく参拝した後に去年のお札、破魔矢、お守りを回収場所に収めてから新しいお札を買って帰宅しました。初詣の帰りは清々しい気持ちになります。

 

 

 去年2020年に2回放映されたテレビ番組で去年1番の衝撃を受けたものがあります、その1部に新年を祝う内容も含まれていたので紹介したいです。

  その番組は友寄隆英(テレビ朝日ディレクター)通称“なすD”と先輩でありアルピニストのK2最難関ルート登頂に成功した大谷映芳が、ネパールの標高5000m以上の山岳地帯に暮らす人々を150日にわたり密着取材するドキュメント映像です。

 

 

 “ナスD“は「とったどー」で有名な濱口のギャグを生み出したよゐこ無人島0円生活“を生み出した有名ディレクターです。自身も素潜りでの漁や、その島にある材料を使って家をつくったりという知識が豊富な方で体力もすごく、徹夜作業をも全力で楽しむ姿が印象的なADさんです。

 

 

 番組の取材先は“奥ドルポ“と呼ばれる標高5000mを超える地域です。そこに行くには“ドルポ“という中国とチベットの国境をまたぐ土地を通過しなければいけません。そこでは何世紀もの間、同じ生活を守るドゥネイ村があります。冬になると雪に閉ざされ孤立するため世界最後の秘境と呼ばれています。テレビ初取材だそうです。そのドゥネイ村の厳しい冬の生活に新鮮なカルチャーショックを受けました。自分の住む環境と別世界過ぎて見た後1日半ほど途方に暮れました。

 その過酷な環境は標高3500m~3800mからは木が樹勢しなくなるということから分かります。

 ドゥネイ村で長い年月変わらず送られてきた生活(特に厳冬)を密着取材するもので、まず先に荷物を置きに7月の草花が息づく秋の時期に最終地点に向かい、その後に冬期に取材をするために再度訪問するという何とも大変な工程の番組です。映像には3度会った少年の成長ぶりを“なすD”が語っていたので、それ以前に1度下見のロケがあったのではないかと思います。

 

f:id:mmyi:20210104000020j:plain

奥ドルポの厳冬

 

 

  一隊はまず首都カトマンズ(ネパール)から飛行機で12時間かけてそこから8時間歩き最初のキャンプ地のチェスカ村に到着し、そこで食材などを調達後に最終目的地のドゥネイ村までドルポの現地案内人や登山料理人、合計20人のスタッフとカッツァルというヤギとウマのハーフの家畜と共に合計12の村(詳細は下記です)を経由します。合計19日前後かけての工程を経ます。奥ドルポに近づいた辺りで、大きな峠(詳細は下記です)を3つも越えるというルートを機材を持ちながら黙々と歩き続けるスタッフさんたちに感嘆しました。機材でバランスを崩しこける場面がとても多く「あぁ!」とテレビの前で声が出ます。“ナスD“は気持ちやコース、風景などの環境のレポートや撮影隊や自分自身への鼓舞の言葉を話しながらの登山です。*工程や村々の特徴の詳細は最後に記載します。

 

 

 “奥ドルポ“の幻の民と呼ばれる人々の住むドゥネイ村での生活です。

主食はスープやおかゆ状になった米にヨーグルトを混ぜたもので、そこに唐辛子のペーストや塩をまぜることもあるそう、質素ですね。体を温めて栄養補給する、まさに生きるための食事です。

 そしてもう1つの主食がツァンパと呼ばれる大麦の粉と水とヤギバターを練ったものを皿の上からちぎり取り、食べやすく握って食べていました。団子やすいとんのような見た目の物でした。

ヤクの肉は高級なもので、結婚式などのお祝いの場で出すものだそうです。塩もドルポではとれないので貴重なものだそうです。

 “ナスD“が屋内を見物させてもらうと、そこの奥さんから“バター茶“をご馳走になります、それはヤクや羊からとれたミルクにバターと塩を混ぜたもので高地での栄養補給となるもので、何度もおかわりする習慣があるそうです。

“ナスD“:「体が温まるわ」その後何杯かおかわりを頂いていたようで、

“ナスD“:「ここではお茶はお金をもらわないのですか?」と思わず質問します。

奥さん:「もちろん、そんなお金なんてもらわないわ」とニコニコしながら「あはは」と子供のように無邪気に笑ってました。

 ここでは断らない限り何杯もお茶をつけてくれるそうです。見ていて本当に心温まりました。そういうところからあの笑顔が出てくるんだなと思いました。

 

 

 ここドゥネイ村もそうですが他の村の家も作りが似ており、1階は寒いからでしょう、荷物置き場となっており、丸太をくり抜いたはしごを登った先の2階が居住空間となっていて、大黒柱や壁の一部に木材が使われています。天井の梁は火が炊かれるので炭と化して真っ黒になっていますが、床はとてもきれいで敷物が1.2枚敷かれており、簡単な寝床と棚があるくらいでシンプルでした。

 

 

 ドゥネイ村は1妻多夫制でした、他の村は分かりません。そこのお邪魔した一家の夫婦は奥さんと2人の夫がいました。(なんと!!)驚きです。しかし兄弟である夫2人はニコニコしていて家族みんな穏やかでした。

 

 

そして村の人が着る防寒着はヤギの革でできており、毛が生えている側を内側にして皮を外にして仕立てたロングコートです。“ナスD“はそこのおじさんからぜひ着てみてと勧められ試着させてもらっていました。「重いな。すごい、これ暖かい!」とおどろいていました、村の少年も同じものを着ていました。

 

 

 この村には学校がありますが、1家の兄弟の中で1人しか通学できません。学費がかかるのと、労働力として子供が必要なためです。子供を通学させるために危険な傾斜で冬虫夏草を取ると話す母親を登山の途中で見かけました。年に何人かは滑落死する方がいるようです。そういった責任感もあるのか目標のためか、子供の授業態度は真剣そのものです。

“ナスD“:「将来は何になりたいの?」

学校に来ている子供達:「先生になりたい」「お医者さんになりたい」というこの2択の答えのみで人の役に立ちたいという子たちばかりです。

 

 

 肝心なドゥネイ村ドゥネイでのお正月の過ごし方の話はまた長くなりそうなので、次のブログで初詣と標高5000m以上での生活②として紹介します。ここまで書いた中で省略した詳細もその後半の番外編にのせます、読みにくくなりましたがここまで読んでいただきありがとうございます。